天上の「異変」

Darjeeling   ダージリン

 

11/25( 日) パトナで一時間遅れの夜行列車に乗る。


パトナからの夜行列車は1時間も遅れた。インドでこの程度はふつうであるが、困るのはプラットフォームで待っていても遅延の放送がなく、駅員もまったく見あたらないことだ。インド人に聞いてもはっきりしない。結局重い荷物を持って跨線橋を渡って駅の掲示板を見たり「問い合わせ」窓口で聞かねばならない。慣れないとこんなことで結構消耗する。

一時間遅れの列車に乗り込んだのが23:10。暗い車内に入る。なんと私のベッドに人が寝ている。切符を見せて代わってもらう。周囲を見ると彼だけでなくベッドのない乗客が通路にたくさん寝ている。

車掌の持ってきてくれた毛布や敷布を簡単にセットしすぐ寝た。


11/26( 月) 目的のダージリン(標高2500m)は全市をあげてストライキ実行中でとまどう。韓国人女性のチョンさん、ヤンさんと会う。


夜行列車で6時頃起床。前の席に座っているインド人の兵隊と話をする。彼は、バラナシー出身でアッサム地方が兵役の任地であるという。私もダージリンの後でアッサムに行く予定なので様子などを聞く。中段、上段から韓国人女性が下りてきて話に加わる。彼女たちもダージリンに行くというチョンさん、ヤンさん。

ニュー・ジャスパイグーリー(New Juspaiguli、以下NJPと略す)という覚えにくい名前の駅に午前9時10分頃到着。ここは、インド本土と東部インド地方を結ぶ狭い回廊にあり、南はバングラディシュ、北にダージリンとシッキムがある。プラットホームから長い跨線橋を歩いて駅の正面へ。ここからスィリグリー(Siliguri)のバスターミナルまでおよそ30分オートリキシャー。バスターミナルに着いて驚いた。ダージリン行きの公共交通機関はすべてストライキで止まっているという。他の外国人旅行者と話をしていると、ダージリンよりさらに奥のシッキム州のガントクにはバスが出ているという。ではそちらに変更しようか、とシッキムの事務所そばの食堂で朝食を摂る。ドイツ人の老婦人二人も同じ状況のようでガントク行きのバスの切符を買ったという。(このドイツ人女性は二人ともブッダガヤで食中毒になりそこに数日滞在したと言っていた。)

しかしバスの切符は売り切れ。乗り合いタクシーで行くように交渉していると、ダージリン行きの乗合自動車を見つけ、これに乗る。列車で会った韓国人女性二人も一緒であった。11時50分出発。

山道に入ると大変なでこぼこ路である。韓国人の一人、ヤン(Young)さんがひどい乗り物酔いでグロッキー状態。ブータン人の青年が少しましな席を譲ってあげた。車内で、ストライキのことについて聞く。ダージリンは現在は西ベンガル州に属しているが、民族も文化もベンガルとは違うので、独立の州になることを要求しての政治ストライキということだ。もう数日続いているということで、不穏な動きがないかどうか尋ねる。大きい混乱はなく安全だというがちょっと心配だ・・・

3時間半でこぼこ道をひどい揺れのドライブであった。途中、カンチュンジュンガ連峰の峰を見て期待がふくらむ。3時10分ごろダージリンに到着。そのバス停で会った宿を紹介するおじさんについていって、Hotel Polyniaに落ち着いた。Rs550。インターネットカフェを探すが、こちらもストライキの影響か使えなかった。そばの良いホテル、Central Hotelのレストランに行き夕食をする。

Hotel Polyniaの部屋が寒い。ダージリンは標高2500mの町だから当然だが、窓にすき間があって外気が入ってくる。シャワーを使ったら震えあがった。午後8時には就寝。


ここのストライキのせいでメールも電話もできない。


11/27( 火) ダージリンを歩く。平和デモ、銃を持った警官や兵士。そばの良いホテルのスィートルームに移り、貴族の生活に。でも、とても寒〜い。


昨夜午後8時に寝て、今朝6時に起きる。
疲れていたのだろう。まだ寝続けたい。朝食後町を歩くが、店はほとんど全部閉まっている。ストライキだ。町は山の尾根近くに沿ってできていて、登り降りがきつい。粗末な家が並ぶ一方で、1804年建設という教会や立派な建築物もあり、往年の「大英帝国」の力を見る。狭い道や階段の道が複雑に入り組んでいる。
人々は全体に背が低く、顔は一般のインド人とは違いネパールないしチベット系である。女性はサリー姿は少なくセーターなどを着ている。ひとなつこく、写真を撮って良いか?と聞くと喜んでポーズをとってくれる。これまでのインドの町のように子供達がマネー、マネー、と言わないのがうれしい。歩いていると、大規模なデモ隊に出会う。「平和行進」の大きな横断幕を掲げている。「わが土地を戦場にするな」、「非暴力は何もできぬが、暴力も何もできぬ」などのプラカードが並ぶ。発声はなく静かなデモであったが、不穏な事態が起こらぬかやはり一抹の不安がある。    

                        独立州要求のポスターとデモ


ホテルに戻るとフロントにチョンさんが来る。相棒のヤンさん(乗り物酔いをした)が風邪を引いたようで調子が悪いという。11時半になるのになにも食べていないというので、一緒に近くのホテル、Hotel Central のOrchid Restaurantへ。「おかゆ」を説明して持ってきてもらう。そこに、ホテルの支配人が現れる。ダージリンのストライキの影響で宿泊客が無くがら空きだという。通常、Rs6500($195)の部屋をRs1500($45)で泊まらないか、とのオファー。部屋を見て気に入る。珍しくバスタブのある部屋もある。結局、一番奥のスィートルームに2泊滞在することにする。
シッキム・ガントク観光は今回はあきらめてこの優雅な部屋で鋭気を取り戻すことにしよう。(チョンさん、ヤンさんの二人は今までのホテルが安いから移らないことに)

このホテルの窓から、インドの最高峰、カンチュンジュンガとそれに連なる連峰が遠望できる。しばし見とれる(写真右)。インドとしては珍しく空気が澄んでいる。


とにかく寒い。前のホテルよりずっとマシで窓は二重になっていて二つの窓の間に花壇があるという豪華さだけど、セントラルヒーティングが無いので室内でも冷え冷えするのだ。
買い物のため再び町に。バザールの店がだいぶ開いている。寒さ対策に、セーター、パジャマ、大きなショール、それに小さなメモ帳を買う。歩いていると、昨日ホテルを紹介してくれたおじさんに会う。ヒマラヤ展望観光について相談する。明日早朝4時に出発してタイガーヒルに行く自動車をRs500で予約する。

夕方5時半、ホテルのスタッフが私の部屋の暖炉に火を焚いてくれると言うので喜んで頼む。おじさん、おばさん二人がかりで真っ赤な火をおこしてくれた。今晩はあたたかく眠れるだろう。部屋の世話から食事の世話まで従業員総出で私の世話をしてくれるみたいで、いわば王侯貴族の生活だ。


11/28(水) 早朝タイガーヒルへ。エベレストを遠望。電話が復旧したがインターネットがまだ使えない。


午前3時過ぎに電話のアラームで目が覚める。4時自動車で出発。チョンさん、ヤンさんも同行。40分でタイガーヒル山頂のヒマラヤ観光ビル内に入る。5時半頃明るくなり、6時に日の出を見るが、雲が多くカンチュンジュンガは見えず。しかし、そのずっと左に離れてエベレストがくっきりとその優雅な姿を見せている(写真下)。この曇り空にもかかわらず世界の最高峰を遠望
できた幸運に感謝。




エベレスト遠望 (タイガーヒルにて)




7時過ぎに下山。途中でチベット仏教寺院と戦争記念公園に寄る。なんの戦争か?と聞いたら、バングラディシュ独立の時にインドは独立を支持してパキスタンと戦った、そのときの戦争記念という。教えてくれた青年達はそのバングラディシュから旅行に来ている人たちで、ぜひバングラディシュも旅行して欲しいと言われた。最近のサイクロンによる洪水について聞いた。大変な災害だったがかなり復旧は進んでいるとのことである。

ホテルで聞くと電話が復旧しているとのことで、近くの「国際電話屋」に行き久美子に電話をする。25日の夜行列車に乗る前にE-メールを打って以来2日半ぶりに連絡したことになる。心配をかけてすまない。久美子もインド旅行にくることになりそうなのでさっそく計画を練ろう。

インド料理の朝ご飯をいただく。カレーもありボリュームたっぷりであった。ダージリンに来て風邪をひいてしまい、それからきているのかおなかの調子がもう一つなので部屋で休んだ。高山病もあるのだろう。

午後、バザールの下の植物園に行き蘭園を見学した。大柄の野生のシンビジウムを中心として見応えがあった。ここに行く途中、急な階段で滑って尻餅をついた。気をつけよう。植物園からの帰りは登り道。かなりきつく、汗が出る。尾根の頂上にあるチョウスター広場で休む。ゆっくり動く霧に煙る広場では子供達が蹴鞠のような遊びをしていた。もっとも蹴っているのは鞠ではなくもっとちいさな固まりであったが・・・ 近くのインターネットカフェが使えるようになったので3日ぶりにE-メールをチェックしたり久美子にE-メールを打つ。

寒いし、体調ももう一つでホテルに帰り電気ストーブを入れるが体が温まらない。早くここを脱出しようと弱気になる。宿泊客一人の王侯生活も気分的には寒々だ。夕食後早々と寝る。


11/29( 木) ダージリンからNJP駅へ。途中、世界遺産のトイトレインが走るのを見る。NJP駅でアッサム行きの夜行列車が6時間(!!!)遅れ。これこそ、Incredible Indiaだ!


ホテル近くのタクシー乗り場で交渉し、午前10時半ごろダージリンを出発。チョンさん、ヤンさんの3人。今朝は、(乗り物酔いでない方の)チョンさんが調子を崩し元気がない。

ストライキの影響で観光客が少ないのでタクシー側も弱気でこちらの要望を聞いてくれる。途中、タイガーヒルに寄ってもらいカンチュンジュンガに別れを告げる。観光運行のトイトレインが煙突から真っ黒な煙をあげて走るのを追い抜いた。山の斜面にある一面の茶畑を見る。山を降っていくとダージリンからNJP(ニュー・ジャイパリグールー)駅に向かう別のトイトレインを追い越す。
これをつかまえて乗ることも考えたがそのあまりの遅さにあきらめた。ジープで3時間半の距離を7時間半かけて走るのだから。このトイトレインは1880年運行開始でアジアで最も古い登山鉄道として世界遺産に登録されている(写真)。
狭い道で次々続くヘアピンカーブをドライブ。眼下に大河を二つ見る。さらに降って平地部分に広がるおおきな茶畑を見て、インド軍の駐屯地を過ぎてシリグリーの市街、次いでNJP駅に到着した。午後3時半。ここのインターネットカフェには持参のMacBookをつなぐことができず、備え付けのPCでE-メールのチェックと送信だけをした。

7時50分、チョンさん、ヤンさんの乗るコルカタ行き列車を見送る。別れ際に、ダージリン茶をプレゼントされたのにはびっくりした。ダージリンでは、お互い体調を崩して助け合ったのでお互い様なのに。でもうれしい。感謝して受け取る(写真右)。

私の列車は3時間遅れということで、またか、と思っていたら実は6時間遅れて午前0時発となった。待合室でアッサムの記事を読んでいると、隣に座っていた紳士がインド政府の役人で、アッサムの様子やホテルなどを親切に教えてくれた。これを見せたら割引してくれるよ、と名刺までくれたのには感激した。  「次へ」


Page Top                   Next