8 これぞ世界の美宝!

アグラ(アグラ城、タージ・マハール、ファテープル・スィークリー城)

 

12/7( 金) 世界の美宝、タージ・マハールのあるアグラへ


特急列車  午前4時半起床。ロンシャンのおばさんが呼んでくれたタクシーに乗りニューデリー駅へ。6時15分発の特急列車に乗る。この列車では、これまで経験しなかったサービスがあった。新聞、ミネラルウォーター、ミルクティー(魔法瓶付き)とスナック、そして朝食。これらを男性の車掌さん達がつぎつぎ配ってくれる。

9時50分、アグラ駅着。オートリクシャーに乗り、予定していた宿のMayaに落ち着く。今日金曜日はタージ・マハールはお休み。


ムガール帝国とアグラ小史  16世紀初め、日本は戦国時代、ヨーロッパは新大陸発見で沸き返っていた頃、群雄割拠するインド北部を征服したのがムガール帝国である。「ムガール」は「モンゴル」に通じる名称と思われ、中央アジアのモンゴル・トルコ系の民族がインドに侵入し、デリーを中心に大帝国をつくった。帝国に繁栄をもたらしたのがアクバル大帝で、都をアグラに移し、アグラ城とその南西のファテープル・スィークリ城を建設した。アクバル大帝の孫がシャー・ジャハン帝。彼は、ペルシャ系の美しい后の死を悼んで壮大な墓を建設した(1565年)。タージ・マハールである。白大理石を惜しげもなく使って22年の歳月を費やしたというこの墓の建設で、帝国の財政が傾いたといわれる。シャー・ジャハンは晩年に息子によりアグラ城に幽閉され、ヤムナー河の向こうにそびえるタージ・マハールを見て過ごしたという。イギリスは、東インド会社を設立(1600年、関ヶ原合戦の年)しインドの植民地経営を拡大する。1858年にムガール帝国を滅ぼしたイギリスは全インドを直接統治した。この動きは幕末の日本に衝撃をもたらし、維新運動に大きい影響を与えた。


アグラ城  ムガール帝国の
アクバル帝が建設したアグラ城を散策する(写真、世界遺産)。赤い石材でつくられ、深い壕で囲まれたた壮大な城である。石壁に刻まれた模様に当時の繁栄が忍ばれる。ダビデの星模様が多用されているが、これはムガール帝国の紋章でもあったのだろうか?
室内を飾っていたであろう装飾品は今は無く壁を残すのみである。


城の西側から、ヤムナ(Yamuna)河の向こうにタージ・マハールが霞んで見える(写真、砦の上左がヤムナ河、中央右にタージ・マハール)。幽閉されていたというシャー・ジャハンの気持ちになってその美しさに見とれた。


野菜料理  宿のレストランで、今夜はカレーを使わない野菜料理を三品頼む。

Dal Sorb  --- Dal(豆)のスープ。豆の味が良く生きていて絶品。Dum Alloo Kashmiri --- ジャガイモ(Alloo)に乳製品(?)と乾燥ブドウを詰めたもの。Baijam Ka Bhenta --- なす(Baijam)料理。どれも、野菜の持ち味を生かした料理で満足した。


12/8( 土) タージ・マハールの美しさに絶句・・・。でもスモッグがひどい。


午前6時半に起き、朝食後すぐにタージ・マハールへ。身体検査は厳重。かばんの持ち込みがだめで、そばのクロークに預ける。




朝もやの向こうに霞んで建つタージ・マハールの白亜の姿が目に飛び込んでくる(写真上、世界遺産)。荘厳かつ清楚。正面の池に沿って近づく。外壁に、花模様、アラビア文字をデザインしたような模様、雲形の模様、柱の縄模様、それに細かな色彩模様が見られ、建設当時のまま保存されているものと考えられた(写真下)。内部には、大理石の透かし模様の壁に囲まれた石棺が二つある。シャー・ジャハン帝と后のものである。

外に出て壮大な建物のまわりを散策する。石畳の模様にも上段と下段では違った組み合わせ模様でつくられている。この建設に携わった当時の建築、装飾、土木、運輸などの人物群に思いをはせる。久美子も感動のあまり言葉少なく、「インドに来て良かった」とひとこと。

タージ・マハールの左右には赤い石でつくられた同じ形の大きな建物がある。モスクである。片方のモスクの脇には、電光掲示があり、12月6日現在の大気汚染情報を示していた。SO2 / NO2 / SPM = 5.40 / 18.43 / 684.83 μg/m3であり、許容値は、それぞれ 30.0 / 30,0 / 100.0。SO2とNO2は許容値以下だが、SPM(Suspended particulate matter、浮遊粉塵)は許容値の7倍近い値である。朝もやと見たのはやはり大気汚染なのだ。ここアグラはインドでもとりわけひどいと感じた。

10時半頃出口から出ると、タージ・マハールに入場するための長蛇の列を見る。ここには、3っつの入り口があるが、そのどれも沢山の人が並んでいる。今朝早く出てきたのは本当に良かった。


ひと休み  ガイドブックに出ていた対岸の遺跡に行こうかとしたが、交通渋滞であきらめる。オートリクシャーのドライバーに大理石加工の店に連れて行かれた。加工現場の実演を見たあと、タージ・マハールで見た装飾に似た装飾の家具や小物を見る。みやげものとして面白いが、大理石は重いしこれからの旅も長いので買わなかった。


象が歩いているのを
見る。ラクダの隊列もよく見る。どれも、車や人とごく自然に共存しているのが面白い。


このホテルのオーナーのRajuと彼のお母さんと話をする。Rajuは、目がずんぐり。久美子が彼のポートレートを描きたいというと大変乗り気。明日時間があればスケッチをすることに。Rajuは、このAgra出身で学生時代をデリー北部のヒマラヤ山麓にあるカトリック系の学校で過ごし、アグラでレストランを開業しその後ホテルも始めたそうだ。良いコックを見つけたので、レストランとして成功している。店もホテルの部屋も清潔で、高価ではないがこぎれいな装飾に気を配っている。ディナーで隣のテーブルについたカップルと話をする。ロンドンのChristinaとBross Davyで、Brossはフロリダ出身と言うことで久美子と話に花が咲いていた。


12/9( 日) 対岸の「ミニ・タージ」と幻の都、ファテープル・スィークリーへ。アグラを発つ。


「ミニ・タージ」と「黒いタージ・マハール」   
昨日交通渋滞で行き損ねた対岸に行くことにする。朝8時にオートリクシャーで狭くでこぼこの橋を渡る。目的のIttimad-ud-daulah’s Tombは、タージ・マハール以前に建てられた墓所で「ミニ・タージ・マハール」と呼べそうなところである(写真)。ここで採用された大理石の「透かし彫り」がタージ・マハールに受け継がれたと、ガイドブックにある。墓所の建物の壁面一面に模様細工が施されており、透かし彫りが多用されていた。いかにもムガール帝国最盛期の芸術作品と思われた。

ムンバイから来たという若者達がいっしょに写真を撮りたいと騒がしい。観光バスで来ていたのはスエーデン北部の人たち。世界の観光地・アグラには多くの外国人観光客が来ている。たくさんのイギリス人、フランス人は見たがアメリカ人にはまだ会っていない。




「ミニ・タージ」を発って、本物のタージ・マハールの対岸地点に行く。河の向こうにタージ・マハールがその壮大な美しさを見せている。「朝もや」で霞んでいるのが幻想的である(写真上)。この土地は、タージ・マハールを建てたシャー・ジャハンが、もう一つのタージ・マハールを黒大理石で建てようと計画した場所であったという。再び狭い橋を渡りアグラ・カント駅へ。10時半着。


ファテープル・スィークリー城(世界遺産)  アグラ・カント駅でファテープル・スィーグリーへのツアー観光バスを待つ。しかし最低人員の8人が集まらなかったのでツアーは中止。デリーから来た二人の若者といっしょにタクシー観光に切り替える。二人はいとこ同士で、背の高いDhiub君はカナダ・トロント在。もうひとりのShanki君はデリーで旅行社に勤めている。およそ1時間のドライブでファテープル・スィーグリー着。丘の上に立つ赤い壮大な門は高さが50m以上ありそうだ(写真)。


この門をくぐると四方を塀でかこまれた広い寺院になっている。この寺院に祀られているのはある聖人と言うことだ。ムガール帝国を興隆に導いたアクバル大帝の唯一の悩みは男子の後継者がいなかったことであった。しかし、この地にいた聖人が予言するとすぐ男子を授かり、アクバル帝はここに都を移したという。しかし、水の問題などで都を維持することができずまたアグラに戻った。



寺院の部分はきれいに保存され、その壁にはいろいろな幾何学模様が見られる。また、タージ・マハールより透かし彫りが多用されその美しさに魅了された(写真上)。一方、城の部分は荒廃が激しい。アクバル帝は古来からのインドの文化とイスラム文化との融合を図りそれが残された建築様式に見られるということで貴重な文化遺産とされている。

これらの知識をもとにゆっくり見学したいのだが、寺院境内には土産物売りの少年、ガイド、物乞いが多く、われわれ観光客につきまとう。それらにずいぶん消耗させられた。

2時にHotel Mayaに戻り、遅いランチ。4時半に荷物を持ち駅へ。今日の夜行列車は2Aというこれまでで一番良い等級の寝台である。17時50分発バスコダガマ行き。Manmadまで16時間の旅である。疲れていたのですぐ寝台に横になる。           「次へ」


(ビデオ)

アグラ駅プラットホームの風景












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