ガンガーで癒される

Varanasi バラナシー(ヒンズー最大の聖地)

 

11/21(水) バラナシーでガンガー河辺を歩く。豊かな気分に。

午前4時寝台列車のベッドで起床。6時ごろに列車が鉄橋をわたる。ガンガーだ。日の出前の河辺の階段状のガートに沢山の人が集まっているのを見る。しばらくしてバラナシー駅に到着。


「バラナシー」という名は聞き慣れなかったが、旧名「ベナレス」はよく知られている。ベナレスは英語名で、インドの正式名はバラナシー(Varanasi)である。一方、ベナレスの発音に近いバナラシ(Banarasi)という地名も使われていてここにある大学の名前にも使われている。nとrが入れ替わっているのがなぜかわからない。また、河の名前は私にはガンジス河がなじみ深いが、これも英語名。ガンガーがインドの名前なのでこれを使うことにする。


駅からガンガー上流側までリキシャー。そこから歩きホテルを探す。部屋と値段を丹念に聞いてまわる。結局、ガンガーのそばに建ち眺めの良いSonmonny Hotelに落ち着く。この程度のホテルとしては値段が「高い」部屋(Rs300)を選ぶ。部屋からガンガーから昇っていく日の出が見える。ガンガーの景色にとてもリラックスした気分になる。不思議な気持ちである。

屋上の食堂で朝食。そこで、NY市からきたアメリカ人と話をする。彼はこれが3回目のインド旅行だそうで、今回はネパールで17日間のトレッキングをした後にインドに来たという。トレッキングは、4人のネパール人と彼の合計5人でしたそうだ。その後、インド東部のアッサム地方を旅行したがとてもすばらしかったと絶賛していた。豊かに広がる水田(?)で象とともに働く人々がすばらしかったと。

また、レストランで中国・雲南省・昆明市からきた中国人のグループにも会った。英語が全くできないが、筆談を交えて話をする。写真を撮ってくれと言われ撮影する。

着詰めの衣服を洗濯に出して半ズボンの軽装に。10時頃からガンガーのガートに沿って下流(北)に向かって歩く。日差しが強い。気分は爽快。日本人の女性(品川あゆみさん)と立ち話。彼女は私をまじまじと見て、「日本人とは思わなかった。イギリス人かと思った。」という。インド人にはネパール人に間違えられたこともあるが。

火葬場を過ぎる。何組かの火葬を実施していた。火葬後の遺体はすべてガンガーに流すという。さらに北へ歩く。朝列車から見た鉄橋(マーラビーヤ橋)近くから街中の路を行く。路は複雑で道に迷う。1時過ぎにきちんとしたホテルに見えるDiamond Hotelを見つけ、ここで昼食を摂ることに。チキンカレー(Mulgh Handi)を楽しむ。いつもからすると贅沢な食事でRs300。

自分のホテルを探しながら歩く。ガートを歩いていると、同じホテルに泊まっている青年(Takahasi Kengo 君)に会う。彼はもう3,4日ここに滞在しているとのことでいろいろ教えてくれた。宿に帰ると軽く悪寒がする。夕方急に気温が下がったのに河辺でじっとしていたのが悪かったか。宿の屋上で夕食を摂り薬を飲んで9時に就寝。明日は休養日としよう。


11/22(木) ガンガーの日の出と灯籠流し。四大仏教聖地の一つ、サルナートを訪問。

午前6時過ぎに起きてすぐ前のガンガーの河原へ。日の出。太陽が大気で霞んで昇る。空気が(砂塵などで?)汚れているためと思うが神秘的である。インド人の女性が陽に向かって祈っている。少年が灯籠流しの灯籠を売りに来る。いくつかを買って火をつけガンガーに流す。ゆっくりと、しかし確実に下流へ漂っていく。




朝食後、絵はがきを書き郵便局へ。そしてオートリクシャーで近郊のサルナートへ。

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サルナート(Sarnath)は、「仏教と仏教教団が生まれた土地」と言える。私が明後日に訪問するブッダガヤの菩提樹の下で悟りを開いたブッダ(釈迦=ゴータマ スィダールタ)が西に旅してこの地で5人に語りかけた。つまりブッダの教えが初めて言葉になった土地であり、その5人が最初の信徒となり「仏教教団」が誕生した土地でもある。

この時のいきさつは釈迦自身が後日弟子達に話したというエピソードが「阿含経」いうお経にあるということを読んだことがある。そのお経の中にある話は次のようなものであった。(うろ覚えで書くので正確ではない。)


悟りを開いたゴータマが西に歩いていくと。昔の修行仲間の男に会った。男が、「おい、ゴータマよ。ずいぶん生き生きした顔をしているが何かあったのかい?」ゴータマ、「おいおい、自分は悟りを開いたのさ。だからもう君は僕のことを気安く友達とかゴータマと呼びつけないでくれ。」その男は驚いてゴータマを見送り、「そんなこともあるのかなぁ」と独りごちた。ゴータマがさらに西に歩いて、現在のサルナートに着いた時、別の修行仲間5人に会った。その5人は懐かしさでゴータマに駆け寄り「ゴータマなつかしいなぁ。ずいぶん明るい顔をしているがなにか良いことがあったのだろう?」ゴータマは、「 自分は悟りを開いたのさ。だからもう君達は僕のことを気安くゴータマと呼びつけないでくれ。世尊と呼んで欲しい。」5人は驚いて、ゴータマの話を聴く。そしてついにはゴータマ・ブッダの教えに帰依した。


この話では、お釈迦様がなんだか傲慢な印象である。一方、青年、ゴータマの高揚した気持ちと行動を感じ取ることができて面白いと思う。お釈迦さまが生まれたときに、天地を指さし「天上天下唯我独尊」と言ったという伝説は、実は青年ゴータマがブッダとして「生まれた」このときのエピソードが基になっているのではないだろうか?(もっとも、ゴータマが出家したのが29歳、悟りを開いたのが35歳であり青年と呼べるかはわからないが、亡くなったのが80歳と当時としては大変高齢であった。)


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サールナートでは、6世紀に建造された巨大なストゥーパのある鹿公園と国立考古学博物館を見学。どこも、インドの観光地としてはとても静かで仏教の聖地にふさわしいと思った。青年ゴータマを想い、般若心経を唱えた。


考古館を出てさてバラナシーに帰ろうかと乗り物を探しているとサイクルリキシ
ャーが現れる。バラナシーは遠いから自転車のリキシャーでは無理だろう・・・と断るが、太ももをたたいて自分は強いから大丈夫だと強引なマーケッティング。乗車する。およそ一時間でバラナシー下町の中心地であるゴードウィリヤーへ。Rs100。

河辺のガートを伝って南へ。「久美子の家」と大書きした建物がある。そのあたりのガートの階段にいた日本人の若者と話をする。立派なひげのDaisuke君はヒンズー語の勉強中で既に1ヶ月近くここバラナシーに滞在とのこと。やさしい感じの美人のYukiさんは、インドの北も南も旅行したエキスパート。Yukiさんが推薦する南インドのケーララはとても良さそう。

ホテルに戻り、今晩はゆっくり休むことに。


11/23(金) ガンガーの朝は最も気持ちが豊かになる。バラナシーを発ちブッダガヤへ。

昨日と同様に、6時過ぎにガンガーの河原へ。すでに沢山のインド人が河に入り沐浴している。ここに来てすぐ感じたこと ー とてもリラックスして豊かな気持ちになったこと ー それはなぜなのかと考える。

ボートに乗らないか?とホテルで働く顔見知りの人に言われ、乗ることに。彼の知り合いというラビ少年のオール漕ぎに任せてガンガーの水上を遊ぶ。しばらくして日の出を見る。振り返ると遠くに火葬場の火が見える。ここには、自然と人間の直接的な結合がある。それが気持ちを安らかにするのだろうか?明後日に大きなお祭り
があるとラビ少年が言う。そのときには、ガートは人でいっぱいになり、ガンガーはボートでうまるという。そんな賑やかな時を過ごしたいとも想うが、予定どおり今日ここを発って次の目的地ブッダガヤへ向かおう。

今日でインドは一週間目。ずっと剃らずにいたひげを剃った。(朝8時記)

バラナシー駅で、ブッダガヤに続いてダージリンに行く切符を購入。  「次へ」


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ガンガー(ガンジス)河で沐浴する人々